山口県北部
以前、山口県南部をご紹介しましたが、今回は北部です。
横に長い山口県は、観光地から観光地を移動するにも時間がかかります。
そして、特に山口県北部は、近年特に人気急上昇の観光地で、海外からの観光客や団体旅行客なども、多く訪れています。
山口県南部の記事はこちら
角島大橋
自動車のCMなどで有名になった橋
角島大橋は、2000年に開通し、その後CMなどに登場するなどして注目を浴び、近年に人気になった観光スポットです。
全長は1,780mあり、本州と角島(つのしま)をつなぐ橋で、通行無料の橋としては国内屈指の長さを誇ります。橋の通行は徒歩や自転車でも可能です。
コバルトブルーの海を貫くようにまっすぐ走る橋は、圧巻の美しい風景を作っています。


ホテル西長門リゾートから角島大橋の側面からの眺めがきれいに見えます。
ホテル西長門リゾートは日帰り温泉があり、その利用で立ち寄れます。
角島灯台
御影石でできた大きな灯台
角島に渡り、突き当り付近にある灯台です。明治9年に点灯した当時の日本海側では初めての大型灯台です。イギリス人技師のブラントンが設計した灯台で、御影石で造られており、日本に2基しかない無塗装灯台の一つです。
所在地:山口県下関市豊北町角島2343
アクセス:バス停(灯台公園前/ブルーライン交通)徒歩5分
営業時間:3~9月 9:00~17:00、10~2月 9:00~16:30
休業日:無休
元乃隅神社(もとのすみじんじゃ)
日本海に向かって赤い鳥居が立ち並ぶ絶景神社
元乃隅神社は、1955年に白狐のお告げにより創建されました。日本海に向かって123基の赤い鳥居が連なる景色が圧巻の神社です。
2015年にアメリカの放送局CNNが発表した「日本の最も美しい場所31選」に選ばれて人気となりました。
この大鳥居の上部には賽銭箱が設置されていて、ここにお賽銭を投げ入れることができたら願いが叶うといわれています。
所在地:山口県長門市油谷津黄498
アクセス:バス停(灯台公園前/ブルーライン交通)徒歩5分
営業時間:3~9月 9:00~17:00、10~2月 9:00~16:30
休業日:無休
角島大橋と元乃隅神社の2大観光地は大変な人気で、連休ともなると、交通渋滞に巻き込まれて観光できないことになりかねません。
特に、元乃隅神社までの道は対向するのが難しいほどの細い山道があり、そこへ大型の観光バスが通ったりするので、動けなくなることもあります。
実際に私が訪れた時も元乃隅神社の営業時間までにたどり着けない観光客が大勢いました。
移動手段は基本的に自動車になるのですが、「広域観光周遊バス「ふくの旅、山口号」(角島・元乃隅神社コース)」という角島大橋や元乃隅神社を回る観光周遊バスが運行していますので、移動手段の候補の一つとして参照してみてください。
角島・元乃隅神社を巡るバスツアー『ふくの旅、山口号』山口県の人気スポットを日帰りで巡る絶景満喫バス
棚田の花段
フォトジェニックな画が撮れそうな場所
棚田の花段は元乃隅神社から車で5分ほどの場所にあります。耕作放棄地となった棚田を花やハーブを育て、イベントスペースとして活用しています。
海と棚田を一望でき、ハンモックやブランコが設置されています。
松陰記念館
萩を訪れるなら、ここで歴史を学ぼう
松陰記念館は、萩往還公園内、道の駅萩往還に隣接して建てられています。
館内には、吉田松陰が全国を旅した行程を示す地図や、松下村塾を再現したコーナー、手紙のレプリカなどが展示され、松陰の生き方や萩の歴史を知ることができます。
萩の町並み
幕末から明治を駆け抜けた志士たちも歩いた町並み
山口県萩市の萩エリアには、江戸時代の町並みが姿をとどめる城下町や、吉田松陰・高杉晋作など維新の志士達ゆかりの地が数多く残っています。
松下村塾 (しょうかそんじゅく)
松下村塾は幕末の志士を数多く輩出した吉田松陰主宰の私塾です。1842年に松陰の叔父である玉木文之進が自宅で私塾を開いたのが始まりで、建物は和室2間に土間が付いただけの簡素なものです。
松陰は身分や階級にとらわれず塾生として受け入れ、わずか1年余りの間でしたが、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋、山田顕義、品川弥二郎など、明治維新の原動力となり、明治新政府に活躍した多くの逸材を育てました。この地域が松本村と呼ばれていたことから「松下村塾」という名がつけられました。
吉田松陰幽囚の旧宅
吉田松陰の実家である杉家の旧宅で国指定史跡。木造瓦葺き平屋建て214平米の建物。松陰は、海外渡航に失敗して萩城下の野山獄に投獄された後、釈放されてからは実家の3畳半の1室にて謹慎生活を送りました。
伊藤博文旧宅
伊藤博文は明治期の日本を確立した初代内閣総理大臣です。
安政元年に博文の父十蔵が一家をあげて伊藤家に入家して以来、博文が14才から28才まで過ごした家。茅葺きの小さな平屋建てです。
博文は、安政4年(1857)に木戸孝允の義弟・栗原良蔵の紹介で松下村塾に入り「なかなか周旋家になりそうな」と吉田松陰の評価を得ました。
山口県の郷土料理・瓦そば
必須の材料は「茶そば、錦糸卵、牛肉などを炊いたもの、刻みねぎ」
熱々の瓦の上に茶そばや錦糸卵、牛肉などをのせて提供する料理で、麺つゆで食べます。レモンともみじおろしが添えられることが多く、味の変化も楽しめる料理です。
「瓦そば」が生まれたのは1961年ごろ。西南戦争の際に熊本城を囲む薩摩軍の兵士たちが、野戦の合間に瓦を使って野草、肉などを焼いて食べたという話からヒントを得て開発されたそうです。
歴史の浅い料理ですが、今や山口県を代表するソウルフードとなっています。
瓦そばは山口県の各地で食べることができます。香ばしさとさっぱり感があり、不思議とやみつきになる味でした。