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薪能

2025年10月10日、栗林公園で「薪能(たきぎのう)」が行われました。
栗林公園開園150周年記念として、人間国宝3名を招いて開催された舞台でした。
能楽堂のような室内ではなく、野外で薪を焚いて行われる能楽は、幽玄の世界をさらに深めるような感じがありました。

薪能とは

かがり火に照らされる能舞台

その起源は、奈良の興福寺の修二会に伴い、薪を焚き、ご神火のもとに能を奉納した神事だといわれています。
それがその意味を広げ、「夜、屋外に仮設の能舞台を設け、そのまわりにかがり火を焚いて演じる能・狂言」の総称となって用いられています。

舞台裏

開場時間より早めに会場の公園を訪れ、舞台裏を見ることにしました。

能舞台の裏側
能舞台の裏側

舞台・栗林公園

特別名勝の広大な公園

薪能の舞台・栗林公園は香川県高松市にあり、国の特別名勝に指定されている文化財庭園の中で、最大の広さを持つ公園です。
高松藩主の松平家の別邸として、歴代藩主が修築を重ね300年近く前に完成しました。
広大な敷地に池泉や築山などを配した作庭様式は「池泉回遊式」と呼ばれ、園内を散策しながら移りゆく景観を楽しむことができます。

着物姿の来園者
能の鑑賞に来たと思われる着物姿の人
池の鯉
エサを欲しがる鯉たち
橋からの眺め
橋からの眺め

本物の屏風松

ライトアップされた美しい松

能舞台は4本の柱だけで組まれ、背景は栗林公園に植わっている天然の屏風松がライトアップで浮かび上がります。
それがなんとも美しく、幻想的です。

日暮れ前の全景
日暮れ前の全景
背景の屏風松とかがり火
背景の屏風松とかがり火

手土産とグッズ販売

思い出になる品々

グッズ販売
受付近くでは、グッズ販売もしています。普通のコンサートと同様ですね。

手土産
いつもはどうなのかわかりませんが、今回は開園150周年記念ということだからなのか、入場時にこんな記念品をいただきました。

中央の菓子折りは、菓子工房ルーヴの「さぬきの焼き栗まん」「焼き芋栗まん」です。

焼き芋栗まん

写真のケーキスタンドはこちら

演目

仕舞「八島」

「八島(やしま)」は、前場・後場がある能の主要演目ですが、今回はその精華を「仕舞」という形式で上演されました。

概要

都から四国へ旅をしてきた旅僧一行が、讃岐の国・屋島(八島の浦)にたどり着きます。日暮れ時、塩焼き小屋の老漁翁と出会い、一晩泊めてほしいと頼むと、漁翁は都の人と知って懐かしみ快く承諾します。旅僧の問いに、漁翁はかつてこの地で行われた源平の合戦、錣(しころ)引きや弓流しの逸話を語り始めます。実はその漁翁は、武勇の義経の霊であることをほのめかして去りました。深夜になり、義経の亡霊が甲冑姿で現れ、戦いの激しさと「修羅道」に堕ちた苦しみを語り、消えていきました。

能「海人」

続いて、本格的な能「海人(あま)」が上演されました。

概要

房前(ふささき)の大臣が母の供養のため、讃岐の国・志度の浦を訪れます。そこで海人(海女)に出会い、かつてこの地で龍宮から奪われた珠を取り返すため命を投げ出し、房前大臣の母であったことを明らかにします。そして大臣は追善供養を営むと、母(海人)は龍女となって現れ、舞を舞いました。

狂言「清水」

舞台の雰囲気がガラリと変わる、狂言の始まりです。「清水(しみず)」が演じられました。

概要

主人が家宝の桶を差し出し、家来の太郎冠者に野中のお茶用の「清水」へ水を汲みに行くように命じます。冠者は「鬼が出るから」と嫌がりますが、主人に強く望まれしぶしぶ出かけます。帰ってきて太郎冠者は「鬼に襲われた」と大騒ぎしますが、主人は置いてきた桶が惜しいと自ら取り戻しに行くと言い出します。
慌てた冠者は先回りして鬼の面をかぶって脅かし、主人を怖がらせます。しかし、調子に乗った太郎冠者は繰り返すうちに正体を見破られてしまう…という笑いを誘う演目です。

祝言能「高砂」

最後を締めくくるにふさわしい、祝言能「高砂(たかさご)」が上演されました。

概要

醍醐天皇の頃、阿蘇の宮の神主友成(ともなり)が都へ向かう途中、播磨国・高砂の浦に立ち寄ります。そこに松の木陰を掃き清める老夫婦が現れ、二人は実は高砂の松と住吉の松の精で、「相生(あいおい)の松」だと言います。
和歌の栄える世が続くことを松になぞらえて讃えた後、老夫婦は小舟に乗り沖へと姿を消します。友成一行も住吉に向かい、住吉明神が現れて舞を舞い、世の平安・寿福を祝います。


今回、栗林公園で催された薪能は、地元に関係した演目、松が美しい由緒ある栗林公園という場所、そして秋の夜長を感じる季節と時間が絶妙に揃うことによって実現された、まさに幽玄の世界へいざなう体験でした。

古典芸能というと敷居が高く感じていましたが、「分かる」までにたどり着かないまでも、日常では得がたい優美で幽玄の世界へ没入できたことは貴重な体験であったと思えました。

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