潮待ちの港 鞆の浦
鞆の浦は福山駅から南へ約14km、瀬戸内海沿岸のほぼ中央に位置する港町です。「潮待ちの港」として江戸時代に栄えた町で、今でも昔ながらの町並みを残し、ノスタルジックな癒しの観光スポットとして人気があります。
スタジオジブリの宮崎駿監督もこの地に魅せられ、ここをモデルとした作品「崖の上のポニョ」が制作されたといわれています。
そのほかにも、数多くの映画の舞台となり、歴史好きだけでなく映画ファンなども訪れる場所となっています。
潮待ちの港とは
瀬戸内海を航行する船が、風と潮の流れを利用していた時代、瀬戸内海の中央に位置している鞆の浦は、満ち潮と引き潮がぶつかる場所でした。そのため、ここに潮の満ち引きを待つ船が数多く集まり、「潮待ちの港」と呼ばれるようになりました。鞆の町は、人と物が行き交う寄港地として栄えたという歴史があります。
阿伏兎観音(あぶとかんのん)
広島県福山市の沼隈半島(ぬまくまはんとう)の南端、阿伏兎岬の突端にあり、瀬戸内を行き交う船の安全祈願するために建てられた観音堂で、国の重要文化財に指定されています。子授け・安産の祈願所でもあり、崖の上に建つ観音堂の中にはたくさんの「おっぱい絵馬」が奉納されています。
観音堂と急峻な岩肌に、青々と飛沫をぶつける瀬戸内の海という、美しい調和の景色を堪能できます。その景色を浮世絵師の歌川広重も描いています。
阿伏兎観音から見る瀬戸内海。足元が見えず足がすくみます。
鞆の浦観光情報センター
「ともてつバスセンター」の中にあり、さまざまな観光情報を扱っています。観光前に立ち寄り、情報収集してから古い町並みを回るといいでしょう。日帰りの温泉情報もあります。ホテルによっては、瀬戸内海の絶景を眺めながら入浴できる温泉もあります。
事前に情報を確認したい方はこちらをご参考ください。
鞆の浦マップ(鞆の浦観光情報センター)
ともてつバス
福禅寺 対潮楼(ふくぜんじ たいちょうろう)
朝鮮通信使をもてなす迎賓館として利用され、赤い絨毯が敷かれた座敷からの海の眺めは素晴らしく、1711年、朝鮮通信使の李邦彦は「日東第一形勝」と賞賛しました。
「いろは丸事件」の際,坂本龍馬ら海援隊と紀州藩が実際に談判を行った場所としても有名です。
朝鮮通信使に関する資料も展示されています。
太田家住宅
江戸時代から鞆の浦で作られている薬用酒の「保命酒(ほうめいしゅ)」の蔵元だった建物です。 瀬戸内海の商家建築を代表するもので、1991年に国の重要文化財に指定されました。
訪問したこの時は、ひな祭のイベントの一環で、室内のあちこちに歴史あるひな人形の数々が展示されていました。
保命酒屋
太田家住宅の前の通りを歩いていると、漢方のような独特の匂いが漂ってきます。
この地で誕生した保命酒の販売店がすぐ近くにあるからです。
保命酒は1659年、鞆の浦に移り住んだ中村吉兵衛吉長が家伝の薬方をもって製造したのが始まりです。十六種類の生薬から時間をかけてゆっくりと有用成分を抽出した体に優しい薬酒です。写真は、太田家住宅の隣で営業する保命酒屋(鞆酒造株式会社)です。
店先では、保命酒に入ってる和漢植物を煮だして、その成分を感じてもらうサービスをしています。
現在でも4社が保命酒の製造販売を続けています。次の写真は別の保命酒屋です。
鞆てらす
鞆町の中心部にあり、鞆町町並み保存の拠点施設です。
町並み保存の推進のほか、地域住民と来訪者の交流の場、観光の周遊拠点となっています。
古い町並み生かしながら生活する移住者のあっせんも行っているようです。
鞆町を代表する祭り「チョウサイ」の山車の実物展示も行っています。
常夜灯
鞆の浦のシンボル的な存在の常夜灯です。高さ5m以上、基礎幅3m以上の石造りで、現存する江戸期の常夜灯としては日本最大級の大きさがあります。航海安全の願いがこめられ、北面に「金毘羅大権現」南面に「当所祇園宮」と掲げられています。
鞆・町並ひな祭の時にはプロジェクトマッピングを行われました。